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いくつになったら

 2校目の4年目の年度末だったでしょうか、当時の教頭と飲み会の場で、こんなやりとりがありました。
「来年度の担任希望、悩みますわ。」
「おまえ、エェ年こいて、何が担任希望じゃ!白紙委任せぃ!」
「エェ年?エェとして、いくつですか?」
「35じゃ!」
「それなら大丈夫です。自分、まだ34ですから。」
と、この年までは希望学年を挙げていましたが、翌年度からは、白紙委任することになりました。
 このやりとりは、いったい何を意味しているのでしょう。私は、この中に2つの重要な意味が隠されていると思います。1つ目は、何年の担任であろうと、どのような教科の専科担当であろうと、どんな場面でも任すことができる人材になっておきなさいということだと思います。もう1つは、将来のためにも、学校運営を高い視点で見ておきなさいということでしょう。
 校内人事については、いろんな考えがあると思いますが、それぞれが自分の思い通りになるものではありません。校内人事に限ったことではありませんが、誰かが、ワイルドカード的な動きで全体の調和を図る必要があります。その動きを取ることができる人材は、必ず周囲からも認められる人材に育っていくことになると思います。
 先ほどの教頭の言葉は、「君もそろそろそれに向けた準備と心構えが必要なんだよ」ということを教えてくださったのでしょう。

データで勝負

 学期末になると、バタバタと忙しいそうにたまった教材をこなそうとする私に、ある教頭がこんなことを言いました。「計画的に進めることはもちろんのことだが、別のことをやり過ぎて、肝心の各教科等の時数がこなせてないんじゃないか?」今では想像もつかないことですが、20年ほど前までは、私は授業時数についてそれほど厳密に考えていませんでした。この年から自分で時数集計を取り始め、標準授業時数と照らし合わせながら授業を進めるようにしました。
 ある、学習指導要領改訂の移行に入る前の年、次年度から始まる移行措置中の、週あたりの授業コマ数が議論されました。この指導要領の改訂に伴い、学校5日制が本格的に実施され、それまで土曜日にこなしていた、隔週3ないし4時間の授業時数の振り分けが問題となったわけです。
 校長からは、高学年においては月曜日から金曜日まで全て6時間授業で検討するように指示が出ました。しかし、そうなると定例の会議が全て3時50分始まりとなり、職員会議や校内研究授業などでは、確実に5時15分を超えてしまうようになるため、週に1日だけは、全校5時間授業で終える日が必要だと考えました。私は、自分で集計していた授業時数の実績を示し、週あたり29コマで標準授業時数を超えることを訴えました。それでも結論に至らなかったので、次年度の行事を全て洗い出し、年間想定時数のシミュレーションをしたデータを提示しました。そうすることによって、29コマを守ることができました。やはり、データ管理は重要です。
 その後、情勢は変化し、高学年においては週30コマ、それで授業時数は十二分に足りているにもかかわらず、とってつけたような理由で夏休みが短縮されました。

校長への道

 昔は、校長になることが、退職までの目標であったのかもしれません。しかし、少なくとも、一般企業の営業職で1年も持たず、最終手段としてこの道を選んだ私は、管理職になってはいけないと心に決めていました。できることならば、校長職というものは、大学選択の段階で教員養成系の大学を選ぶような、高潔な理想を持った方に務めていただきたいという願いを持ち続けていたからです。初任者研修には休まず出席し、経験者研(当時は15年研修)にも進んで参加し、校務分掌ではいろいろな部署の長を経験した後、教務主任を経験して、指導主事として教育委員会事務局に入り、数年間の指導主事経験の後、教頭として現場に戻り、そのような方に、大切な学校を預かる「校長」という仕事をしていただくのが私の理想でした。本音の部分でも、そこまで経験を積まないと、本来の「校長」の仕事はできないと考えています。
 しかし、昨今、情勢は変わってきました。経験者研(現在は10年研)を経験せずに、指導主事に抜擢されるという人事が、平気で行われるようになってきました。そのような、ほんの少しの現場経験で指導主事の仕事が務まるのでしょうか。少なくとも、退職前の私は、彼らから「指導」はされたくありませんでした。実際、そのような状態で現場に管理職として戻ったにしても、教職員個々がそれぞれの持ち場でどのように仕事を進めているか分からない人材に、管理職は務まりません。
 もう一つ私を悩ませたのは、「民間人校長」でした。幸い、民間人校長の下で仕事をすることはなかったのですが、どれほど企業でマネージメントに秀でた人材であっても、学校現場は、それほど甘いものではありません。きちんと手順をふんだ人間が現場を動かしてこそ、生きた教育が行われるのです。 

地域の教育力

 公教育にとって、地域の教育力は欠くことのできないものです。何気ない日常生活から子ども達に影響を与える大人の姿もあれば、ある学年で経験した、積極的な大人の姿もありました。
 4年生を担任していたときのことです。学校公開で、総合的な学習の時間の取り組みの発表会を行いました。
 あるグループが、学校周りのたばこの吸い殻の調査をした結果について発表していました。駅に近い学校だったので、土・日よりも平日の方が吸い殻の数が多いことから、駅の利用者がポイ捨てをしているのではないかという考えや、その解決策として、ポイ捨て防止のポスターを作って学校のフェンスに貼ることを提案していました。すると、保護者の中のお父さん二人が質問の手を挙げました。「君たちは、本当にポスターを貼るだけでポイ捨てがなくなると思っているのですか?」「君たちが作ったポスターが、雨風にさらされて、新たなゴミになるのではないですか?」
 また、酸性雨調査についてポスターセッションをしていたグループの前にもお父さんが一人。ある図鑑に載っていたことを参考に、雨水、水道水、市販のミネラルウォーター、水道水にレモン果汁を入れたもので、ハツカダイコンの発芽の様子を見る比較実験を行った結果の発表でした。「なぜ、レモン果汁を使ったの?」「レモン果汁と酸性雨には何か関係があるの?」
 その場では対応できなかった子ども達ですが、次の活動にしっかりつなげていました。
 このような、積極的な地域の教育力は、普段の活動中にある担任とのやりとりだけでは経験できない新鮮な刺激となり、その後の子ども達の活動の原動力になるのです。

学級通信をうまく生かそう

 ワープロ専用機が一般的になった頃から、私は、定期的に学級通信を発行するようになりました。時代が進み、ワープロ専用機はパーソナルコンピュータに変化し、デジタルカメラで撮影した画像が入るようになり、高速プリンタが手に入ると、教室でカラー印刷をして配布できるようにもなりました。
 基本的に、学級通信は学級経営上必須のものではありません。保護者の方には、あくまでも担任による保護者へのサービスであるということを強調しています。しかし、学級通信は、学級経営上、非常に重要なアイテムであることを担任の先生方は忘れてはなりません。
 学年からは学年だよりが発行されますが、その学年だよりと学級通信は、どのような使い分けが必要なのでしょうか。
 多くの場合、学年だよりは前月末に翌月号が発行されます。内容は、翌月の行事予定が中心で、予定されている行事の内容などにも触れられています。また、学年全体の児童の様子なども書かれていて、学習、生活指導や、健康上のお願いなども書かれています。
 それに対して、学級通信では、行事での子ども達が取り組んでいる姿や成果を採り上げるようにしましょう。生活科、総合的な学習の時間や外国語活動の様子など、保護者が経験していない教科等の様子をお伝えするのも非常に有効です。また、私は、校外学習や修学旅行などの様子を、紀行文的に連載することをよくしました。そして、必ずそれらの意義や、それに対する担任の考え方を組み込むようにしましょう。そのことで、保護者の学級や担任に対する理解がうんと深まります。毎号毎号、子どもの作品ばかりの学級通信は、必ず飽きられてしまいます。

校務分掌で人を育てよ

 私が職場を去る頃、現場では戦後3回目の大量採用時代を迎え、若い人たちが職場にあふれていました。最後に勤めた学校での8年間は、この若い人たちをどう育てていくのかというのが、私にとっての大きな課題でもありました。
 教師の仕事は、大きく、「学級経営(教科指導も含め)」と「校務分掌」に分けることができます。初任者達には、目の前の大きな仕事として「学級経営」が立ちはだかるわけですが、私は、日頃から「校務分掌」に比重をかけた育て方をするべきだと考えています。なぜなら、「学級経営」は「個」の課題であることに対して、「校務分掌」は「集団」の課題であるからです。「個」の部分の学級経営能力が高まることももちろん必要ですが、それ以上に、「集団」としての校務分掌をこなす力を身に付けておかないと、学校という「組織力」が育ってこないからです。
 経験豊富な教職員が居る間は、若い教職員が「校務分掌」をさほど意識していなくても学校は動きます。しかし、経験豊富な教職員は、遅かれ早かれ異動や退職などでその学校を離れます。そのときのために、初任の段階から「校務分掌」を理解してもらい、いつでも校務分掌上の重要な部分を担えるようになっておいて欲しいのです。また、「学級経営」を最優先させてしまうと、それぞれの学級のルールが先行してしまい、学校全体の決まり事が生かされなくなってしまう可能性があります。また、他の学級や他の学年に対する配慮が、欠落してしまう可能性もあります。
 そのためにも、私は、旧態依然とした校務分掌で動くのではなく、自校のマンパワーが十分に発揮できるような体制を整え、大胆な校務分掌の改革を随時行っていく必要があると考えながら、それを実践してきました。

思い出の管理職2

 運動会の日には、みんな早出をします。これまで勤務した学校でも、早いときには、朝の6時には主要なメンバーが集まっているという学校もありました。
 そんな学校に勤務していた運動会当日、ほぼ全員が集まっている午前7時に、校長の姿はありませんでした。朝の打ち合わせでも、運動会が終わった後の打ち合わせの場においても、早出に対する校長からの感謝の言葉はありませんでした。
 翌年の運動会当日、私は、校長に対する反発心から、定時出勤しました。もちろん、体育部担当の同僚や教頭に断りを入れた上で。教頭には「そんなこと、するもんじゃありません。」とたしなめられましたが、意地を通しました。それでも、校長からは何の言葉もありませんでした。
 運動会が終わり、6年生は修学旅行に出かけます。その頃、学級担任を離れていた私は、付き添いとして、修学旅行に同行しました。
 その初日の夕食時、事前の健康診断などで全く問題のなかった子が、食事中に突然痙攣様の発作を起こしました。最初は友達とふざけているのだと思いましたが、そうでないことにすぐ気がつきました。しかし、そこで自分は何をすればいいのか分からず、即座に動けなかった私の横から、源義経の八艘跳びがごとくお膳を飛び越え、最初にその子の介抱にあったのは校長でした。
 子どもの危険を察知し、すぐに対応すべきことは教育現場で働く者にとって当たり前のことです。しかし、このとっさの行動は、その後の校長に対する私の考え方を180度転換させるものでした。

思い出の管理職1

 34年も勤めれば、いろいろな管理職と出会うことができます。経験豊富な管理職は、未熟な私に、たくさんのことを教えてくれました。
 初任校で6年間の勤務を終え、2校目に異動したときです。とても怒りっぽいことで有名な校長の下で、仕事をすることになりました。その校長には、度々怒鳴られました。
 まずは、PTAの保健体育部を担当していたときのことです。夜間の行事を体育館で行ったのですが、校長が校長室に居たことに全く気づかないまま行事を進めてしまいました。途中で気付き、行事終了後、指導いただいた講師の方を校長室へお連れしたときです。「君は、なぜ私が残っていたか分かるのか。」「講師料は、自分で渡したまえ。」という言葉を残してお帰りになりました。
 続いて、私が職員団体の分会長をしていたときのことです。当時は自宅研修権が大幅に認められており、短縮授業中に、午後の自宅研修を認めてもらうことを確認に校長室を訪れたところ、「先生方がこの暑さの中どれだけ疲れているかは分かっている。自分が自宅研修を認めるかどうか、君は聞きに来ないと分からないのか。」と一喝されました。
 同じ年の年度末、学級数減で、教員に過員が出ることになりました。異動対象になる10年目の教員も居ず、誰かが異動希望を出さなければなりません。校長は、分会長の私に「誰か希望者は居るのか。」と尋ねました。「いや、最悪の場合、分会長の私が・・・。」「馬鹿なことを言うな。君にはまだ将来がある。3年目で異動して、将来、人から変に疑われるような履歴書にしてはいかん。」
 それぞれに、いろいろな意味を含んだ、重みのある言葉です。

転勤1年目はじっと我慢

 私が勤務した自治体では、初任校については6年、2校目以降は10年を限りとして異動するという申し合わせになっていました。さて、初任校の6年を終えて、2校目の1年目、そこには大きな落とし穴が待ち受けていることを知っていますか?
 初任校の6年目、「新任」というレッテルもはがれ、校内事情もよくわかるようになり、そろそろ仕事もできるようになってきました。そして、6年間の経験を携えての転勤。ここまで順調に進んできた貴方のことですから、新しい職場でもてきぱきと仕事をこなそうと・・・。ところが、何か違うんですね。当たり前です。そこは、貴方が「新任」から6年間勤めていた職場ではないのです。学校の歴史も違う、地域の様子も違う、保護者や子ども達の質も違う、職員構成も違う、当然のことながら、学校教育目標も違うのです。
 ある日の職員会議、「前の学校ではこうでした」などと発言しようものなら、即座に経験豊富な先生方から「うちの学校ではこうです」との反論が。場合によっては、総スカンを食らうことも覚悟しなければなりません。地域もそうです。前任校のやり方を押し通そうとすれば「変な先生」というレッテルが待ちかまえています。
 転勤して1年目は、その学校の手法を学ぶ期間です。そこにある手法は、長年の間に積み上げられた、その学校の宝物です。まずはじっくりとその手法を身につけ、同時に、地域や職場に自分を理解してもらうことが大切です。そうして足場を固めた上で、改革すべきところに着手していきましょう。
 これは、2校目の1年目に限ったことではありません。2校目でしくじった人は、きっと3校目、4校目で同じ失敗を繰り返すことはないでしょう。と同時に、2校目10年の経験の中で、新たな転勤者の姿からそれを学ぶのかもしれません。

誰が誰を育てているの?

 教育に対する価値観の多様化で、学校は保護者の多岐にわたる要求にどう応えるべきなのか日々苦悩しています。その中でも、特に「初任者」に対する保護者の見方は、私達が「初任者」であった頃とは大きく変わってきているように思われます。。
 私がこの職に就いた1970年代後半は、まだ学校が地域の核であり、「学校がしはることやから」「先生が言わはることやから」と、大目に見ていただいていたことがたくさんありました。もちろん、教職員に対するそれも同様で、特に初任の先生については、保護者が先導するような形で地域で大切に育てようという気運がありました。当然のことながら、保護者の意識がそうであれば、子ども達は先生に対して絶大な信頼を寄せてくれます。子ども達が先生を好きになれば、保護者も先生により信頼を寄せてくれます。保護者対応に多くの時間を必要としなければ、その時間を子どもに関わる時間に向けることができるのです。と、ますます先生と子どもの関係は密になります。
 近年、この好循環が、徐々に崩れてきているように思われます。私達の時代に比べ、初任者研修の拘束時間は増えていますし、保護者からの要求も複雑になってきています。しかし、そんな時代だからこそ、初任の先生方は何とか時間を工面して子どもと接する機会を増やし、子ども達の表情をよりよいものにしなければなりません。保護者は我が子だけではなく学級全体の様子を見つめ(そのためには保護者間の健全なネットワークが必要)、ぜひ担任の先生を盛り立ててやっていただきたいと思います。この循環が定着すれば、先生が子どもを育て、子どもが保護者を育て、保護者が教師を育てるという理想的な構図ができあがるのです。

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