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T教諭に捧ぐ⑥

 勤務校が、創立30周年を迎えることになりました。当時の周年行事は、PTA会費の積み立て金ばかりではなく、バザーなどを行い、ある程度余裕のある資金の中で記念事業を行っていました。そこで浮上したのが、地域をテーマにした周年行事とし、余剰教室を利用して「郷土資料館」を作り、周年の冊子も、3年生の社会科の副教材になるものを作ろうというものでした。もちろん、T先生の提案でした。
 バブル期を迎え、以前、農家を営まれておられたおうちも、家の建て替えが進んでいました。納屋も建て替えの対象となり、そこに残された民具や農具も、どんどん廃棄されていく時代でした。わずかに残された農地も売却され、住宅やマンションに変わっていきました。「こんなときだからこそ、廃棄される道具を学校に集める部屋が必要だ。聞き取り調査や、写真撮影も今しかできない。」T先生は、いつもこう語っておられました。
 T先生は、主として郷土資料館の担当をされました。私は、冊子の担当です。この、冊子の編集についても、その元となったのは、T先生がこれまでの勤務校で3年生の児童に配られた手書きの副教材でした。
 郷土資料館の当初の計画では、教室の形状は変更せず、集まった道具を、床面に展示するというものでした。全て、教職員の作業で行う予定でしたが、T先生の人柄からでしょうか、地域の大工さんを始め、いろいろな職人さんが現場を覗きに来てくださいました。当然、手に覚えのあるみなさんですから、すぐにプロジェクトチームができあがりました。せっかく集まった道具をどのように見せればいいのか、基本設計からやり直しです。教室前後の黒板を取り払い、棚なども全て撤去し、66㎡×2.5mの完全な空間ができあがりました。 

T教諭に捧ぐ⑤

 ある年、「子ども達が、縦割り集団活動で、駅伝大会を計画しているんだけど。」と、児童会担当から相談がありました。T先生と私は、児童会の本気度を知るために、児童議会に同席させてもらいました。児童議会では、大会の意義や運営方法について、白熱した議論が交わされていました。下校時間をはるかに過ぎ、10月の7時は、あたりも真っ暗です。児童議会に出席している子の家族が迎えに来ても、子ども達の迫力に圧倒され、ただただ静かに外から眺めているだけでした。
 これで、子ども達がどれほど本気でこの行事をとらえているのかよく分かりました。T先生と私は、職員会議の提案文書を作るべく、河川敷公園までの行き帰りのコースを綿密に調査し、最も安全に移動できるルートを決めました。現地調査では、実際に走路の長さをメジャーで計測し、体育部としての案をとりまとめました。
 職員会議当日、予想通り、片道1時間はかかるであろう河川敷までの移動時間や、体育的行事としての運動量の少なさなどが問題となり、否決されようとしていました。そのとき、必死になって案をまとめようとしていた児童議会のメンバーの顔が、私の脳裏をよぎりました。「子ども達は本気です。どうして子ども達の気持ちに応えようとしないのですか。」涙ながらに訴えましたが、結論は変わりませんでした。
 その夜はなかなか寝つくことができず、寝返りを繰り返すばかりでしたが、2時半を過ぎたあたりだったと思います。突然、電話が鳴りました。「おう、やっぱり寝とらんか。俺も、今まで飲んでたんや。今日は、久しぶりに青春したのう。おもろかったやないかぁ。」いつもの、T先生の声です。この電話で、どれだけ救われたことか。明け方まで話し込み、でも、その日は、睡眠不足ながら、すっきりと出勤できたことを覚えています。

T教諭に捧ぐ④

 転勤して3年目、再び5年生の担任を命ぜられました。在籍120名の3学級でスタートする予定でしたが、春季休業中に転入があり、4学級編成となりました。異動してきた校長の最初の仕事が、講師の手配と、5年生の担任の再編成でした。急遽、低学年で決まっていた経験豊富な先生が5年生に入られました。
 ところが、今度は年度途中での転出が相次ぎ、6年生では3学級編成となることが決まりました。その頃は、2年間持ち上がるのが通例となっていたため、どのように編成し直すのか、重大な問題でした。
 春季休業に入ってすぐの頃だったと思います。T先生から声をかけられました。「おまえが下りるべきではないか。」確かに、学年の構成を考えたときに、1人は初めての高学年で、6年生を経験すべきでした。もう1人は、この学年を最後に転勤が決まっていましたので、最後の花道として6年生を。もう1人は、急遽あがっていただいた先生ですから、下りてもらうわけにはいきません。となると、必然的に、下りるのは私となってきます。その足で校長室に出向き、卒業まで関係を維持できるように、理科専科と引き替えに、学年を下ろしてもらうように進言しました。
 その6年生の卒業式の日、私の担当は「放送」でした。「放送」を担当すると、卒業生が校門を出て行くときのBGMを流さなければならず、子ども達の最後の見送りができません。それを割り振ったのは、T先生でした。その割り振りに納得できなかった私は、卒業式から数日後、T先生に食ってかかりました。「卒業式は、卒業生と、その担任のためのものや。そこへ、おまえが顔を出したら・・・。」確かに、その通りです。私の浅はかさを事前に見抜いた配置。さすがです。

T教諭に捧ぐ③

 できあがったU字釘を、早速、運動場に打ち込んでみました。案の定、曲がってしまったり、U字の部分が広がるばかり。やはり、焼き入れをしないとだめなようです。専門家に問い合わせると、青酸カリが最も焼き入れに適しているという返答が。しかし、取り扱いできる人間がいないので、廃油で焼き入れをすることにしました。
 近隣の小学校の陶芸釜を借用し、保護者が経営するガソリンスタンドから廃油も調達し、焼き入れ作業開始です。夏季休業に入ったばかりの暑い中、沸騰する廃油から炎が立ち上がるような危険な作業でしたが、無事、目標の2000本を超えるU字釘を用意することができました。
 夏季休業中に運動場半面の改修工事が終わり、運動会に間に合わせるために、2学期の最初はU字釘打ちの職員作業が連日続きます。これを2年続けて行ったのですから、一部の職員から愚痴が漏れるのも仕方ありませんでした。
 これらの作業を、T先生抜きで行えたかというと、それは絶対になかったでしょう。予算の関係から購入できないものを、代替品でまかなったり、手作りしてしまおうという発想は、経験の少ない自分では沸いてこないものでした。近隣の小学校の陶芸釜の借用の手続きや、廃油の調達など、その動きの素早さにも驚きました。そして、何より、職員の中から漏れる愚痴に対してたじろぐ私に、「ここは、絶対に引いてはいけない。やってしまわなければならない仕事については、先送りにすることはできない。」と、後押ししていただいたことです。そこには、ただ単に「頑固」な姿があるのではなく、日頃から率先して動き、他人の目のないところで、みんなが動きやすい環境を作っておられたからこそ、「引かない」姿を見せることができたのではないかと思っています。

T教諭に捧ぐ②

 出会って2年目、私はそのまま体育主担の仕事を続け、T先生はサブでついてくださいました。T先生に主担になっていただき、私がその下で学ぶという選択肢もあったのですが、「体育主担は1人でええんや」というのがT先生のポリシーで、私がそのまま主担を続けることになりました。同時に、「他人に任せるんじゃない。自分で動いて、他の先生が気持ちよく仕事ができるようにしろ。」との教えを受けました。
 勤務校の運動場は、湿田を埋め立てて作ったために、少しの雨で水たまりができ、なかなか水が引かないという状態でした。私は、毎日の清掃時間に、その水たまりを埋める作業を続けました。しかし、下手に土を入れると水路を埋めてしまうことになり、逆に水たまりが広がるという状況もありました。そんなある日、運動場の大規模改修の話が舞い込みました。2年度に渡って、運動場の半分ずつを改修するという案です。
 そこで問題になったのが、トラックのコースをどうするかです。トラックテープを購入する予算はありません。もともと、寅ロープを釘で留めるという方法がとられていたのですが、釘の抜け落ちが多く、多少危険な部分もありました。予算的には、寅ロープを選択するしかありませんが、釘で留めれば同じことになります。そのとき、T先生から「U字釘を使おう。」と提案がありました。しかし、U字釘は高価で、予算的には到底無理です。「じゃ、作ろう。」番線を購入し、自分たちで作ってしまおうという構想です。目標は2000本。クリッパーで一定の長さに切断し、U字型に曲げるのですが、うまくU字型に曲がりません。ところが、T先生は、板に釘を打ち付け、その釘に沿って曲げるときれいなU字ができる装置を簡単に作り上げてしまいました。この時、「先生に必要な能力」というのは、教室で授業するだけのものではないということを思い知らされました。

T教諭に捧ぐ①

 人生、いかなるときも、「人との出会い」というものが、重要な位置を占めています。人と出会い、いろいろな影響を受け、仕事観や人生観が変わっていくものです。私も、仕事を通してたくさんの人と出会い、様々な影響を受け、何とか退職まで辿り着くことができました。その中でも、多くの影響を受けた師と仰ぐ先生の一人が、T先生でした。残念なことに、退職後7年目で帰らぬ人となられましたが、ここまで導いてくださったことに感謝の意を込めて、T先生との日々を振り返ってみたいと思います。
 私が、T先生とはじめて出会ったのは、2校目に転勤して2年目でした。1校目で6年間勤務し、仕事のやり方も分かったつもりでいた私は、2校目の1年目にして、大きな壁にぶち当たりました。初年度から、体育主担という大役をいただき、赴任校の内情が全く分からないまま、運動能力テスト、運動会や耐寒遠足の提案をしましたが、ことごとく「うちの学校のやり方はこうじゃない。別の方法を提案し直せ。」と修正を求められることばかり。引き継ぎ資料もろくに用意されず、私にとっては、前任校でのやり方を提案せざるを得なかったのです。
 そんな毎日が続き、仕事への情熱も失せかけていた2年目、赴任してきたばかりのT先生から声がかかりました。「悔しいだろうけど、やっぱり、おまえの提案の仕方が悪いで。」「俺が見てやるから、もう一度提案文書を書いてみ。」前任校の案が悪いのではなく、私の提案の仕方が悪いのだと指摘を受けたのです。「ここは、こう書いた方が分かりやすいやろ。」「この人的配置はないで。」などと、修正すべきところを次から次と見つけていただきました。この時、8年目にしてはじめて「仕事を教えてくれる先輩」に出会ったような気がしました。 

平行四辺形の面積

 3校目に勤務していた2000年頃から、課題解決型の算数科の授業を、習熟度別少人数指導で行うことになりました。その習熟度別指導ですが、能力別指導と勘違いされる方が多いようです。習熟度別指導では、どの段階のコースでも、その時間の課題は同じです。違うのは、主として、その課題を解決するためのアプローチの方法です。ですから、得られる答えも同じものであり、同じ結論を見いだすことになります。
 5年生では、いろいろな図形の面積を求める単元があります(正方形と長方形の面積については4年生で学習しています)。最初に扱うのが、平行四辺形の面積です。もし私が習熟度別の授業をコーディネートするとなると、底辺が6cm、高さが4cmで、底辺同士が2cmずれている平行四辺形を課題とします。
 習熟度の高いコースでは、実寸大で印刷した平行四辺形を用意します。その平行四辺形の形を変えて、既習事項で適用できないかどうかを検討させます。当然、任意の高さの線で分割してずらして結合すると長方形となり、縦×横で面積を求めることができるので、対応する高さ、底辺の語句指導をし、底辺×高さの公式を導き出します。
 習熟度の低いグループには、4cm×6cmの長方形を与えます。その上で、課題となる平行四辺形を与え、長方形から平行四辺形の作り方を検討させます。ほとんどの子は、片方の辺を斜めに切り落とし、その三角形を逆に持ってくると平行四辺形ができることに気づきます。そこで、面積は変わっていないことを押さえ、語句指導と公式の導き出しに進みます。
 ちょっと発想を変えるだけで、それぞれの習熟度に合わせた授業展開が期待できます。基礎基本の充実をめざすためには、詰め込むのではなく、のびのびと学ばせたいですね。

円周率は3? 3.14!

 2002年の、いわゆる「ゆとり教育」の始まりとされる学習指導要領の改訂で、小学校算数科で扱う円周率について、円周の長さや円の面積を求める計算については、「円周率を3として計算させてもよい」ということになりました。このことが、マスコミの誇張、誤報によって、「小学校では円周率を3と教える」と誤解され、反ゆとり教育へ進むきっかけともなりました。しかし、この時代も、円周率は3.14だったのです。 
 では、円周率を3で計算することの、どこが都合悪いのでしょうか。例えば、学校の段階が上がり、算数科が数学科に変わると、円周率も数字を使うのではなくπという記号を使うようになります。そうなると、3.14をかける計算はしなくなります。また、ずっと昔に、石油コンビナートで働いている社員さんに聞いたことがあるのですが、管の口径は直径で表されているので、断面積の計算をするときには直径×直径×0.785で計算するそうです(今は定かではありませんが)。要するに、円周率=3.14こだわる場面は非常に少ないということが分かります。強いて言うなら、円周率を3で計算すると、その円に内接する6角形の周りの長さと等しくなってしまうということぐらいです。また、小数のかけ算が身に付かないのではないかと不安視する考えもあるにはあったようです。
 もちろん、ゆとり教育においても、円周の長さを求める公式は直径×3.14でしたし、円の面積を求める公式は半径×半径×3.14でした。ただ、実際に計算して求める場合には、問題に「円周率を3として求めましょう」という断り書きがありました。小数のかけ算のスキルを上げることは計算領域の学習時に任せて、計算スキルの低い子でも、整数の計算にすることで正答率を上げ、子ども達に自信を持たせ、興味を持続させることが、基礎基本を身に付ける重要な要素になっていたのではないでしょうか。

特別活動+

 学習指導要領では、特別活動は、学級活動、児童会活動、クラブ活動、学校行事に分類されています。この中で、児童会活動について振り返ってみましょう。
 現在の保護者世代のみなさんは、児童会役員選挙で立候補なり、投票なりの経験をお持ちではないでしょうか。その頃の児童会の組織は、会長を頂点に、副会長、書記、(会計)と、4年生以上の各学級から選出された代議員(学級委員)で構成されていたと思います。
 ところが、1992年の学習指導要領改訂の際、児童会の組織の見直しがなされました。それまでの役員組織を改め、児童会の話し合いは、各学級の代表委員で組織する「企画委員会」と、代表委員と各委員会の代表(必要に応じてクラブ代表)で組織する「代表委員会」で行われることになりました。企画委員会を行う代表委員は、委員会活動に位置づけられていますので、全校の委員会活動の時間(6時間目が多いです)に開催できますが、代表委員会は、委員会活動を終えた後、委員会代表が合流しますので、今の時間数からすると7時間目に開催しなければならないということになります。ということから、実際には、企画委員会を代表委員会として弾力的に運用している学校が多いのではないでしょうか。
 ここまで無理をして、組織の変更を示したねらいは何だったのでしょうか。確かに、児童会役員選挙において、鉛筆や消しゴムという賄賂が行き交ったこともありました。また、組織票ともとれる行為もありました。しかし、それらの行為は大人社会を投影したものであり、子ども達はそれらの失敗を通して、多くのことを学んだりしたはずです。ここ数年の国政選挙や地方選挙のの投票率はどうでしょう。選挙を通して間接民主制を学ぶことも、児童会活動のねらいの1つにしてもいいのではないでしょうか。

総合的な学習の時間+

 2002年の学習指導要領の改訂で新設されたのが、総合的な学習の時間です。この改訂は、明治の学制、戦後の教育改革に次ぐ、日本の近代教育における3度目の大改革だと声高に叫ばれました。その象徴的なものが、この総合的な学習の時間で、国語科、算数科に次いで週あたりの時数が多く、高学年では、週あたり3時間を越える時数が配当されていました。ところが、配当時数からしても重要な位置づけであったはずの総合的な学習の時間も、その成果の十分な検証や検討がなされないまま、わずか9年で、時数が3分の2以下に削減されました。
 導入時のねらいに、欧米型の学力の1つである「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力=生きる力」の育成が掲げられていました。学校現場では、時期を同じくして導入された学習用コンピュータやインターネット回線も活用し、問題解決に必要なスキルを高める実践を積んできました。
 しかし、2011年の学習指導要領の改訂で、状況はが大きく変わりました。総合的な学習の時間は、スキルを高めるためではなく、もう1つのねらいであった探究活動を深める時間となりました。時数を削減したのですから、ねらいも削らなければつじつまが合いません。
 ゆとり路線から詰め込み路線に転換され、各教科での指導内容も増えました。そこで、これまで総合的な学習の時間に扱えた問題解決に関わるスキル学習を扱うことは、時間的に、まず不可能です。これは、結果的に「生きる力」を否定することにつながりかねません。見かけだけの学力ではなく、「生きる力」そのものの育成につながる総合的な学習の時間をより活性化しなければ国際化にはつながらないと考えるのは、私だけでしょうか。

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