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企業勤務経験を持つ教員

 学校の先生になる方法には、いくつかのルートがあります。最も一般的なのが、教員養成系の大学に進む方法です。一般大学で、教職課程の単位を取得する方法もあります。また、他大学で取得した単位を認定してもらう方法などもあります。また、卒業後、仕事に就いたりしながら、通信教育課程で教職員免許を取得する方法もあります。ただ、この場合、あくまでも教員になることをめざして仕事に就きながら通信教育を受ける場合と、企業での仕事を経験した後、人生最後の手段として教員免許を取得する2つのタイプに分類することができます。私の場合には、ここに挙げた最後の方法で教員になりました。
 私が教職に就いた頃、まだ物珍しさもあったのか、「会社勤めを経験している先生」というだけでもてはやされたことがありました。少しうれしい部分もありましたが、よくよく考えれば、私などは、「営業職」という厳しい世界について行けなかった人間です。企業で通用しなかった敗北者ですから、決してもてはやす対象ではありません。
 実際、企業経験というのは、教育現場で役に立つのでしょうか。両方を経験した身からすると、役に立ちません。教員は世間知らずだとか、仕事としての学校現場は厳しさが足りないとか言われますが、それはあくまでも個々人の問題であり、総じて世間知らずなわけではありませんし、ぬるま湯に浸りきっているわけでもありません。にもかかわらず、最近では、教職員の企業研修なるものがあり、希望すれば、夏季休業中などに、百貨店の販売員などを経験することができます。こんなものは、わざわざ研修で組んでいただかなくとも、アルバイトなどで経験している教員は、わんさかといます。わずか数日の企業経験など、なんの役にも立ちません。わずか数日の研修で学校のトップに立つ、民間人校長も同じことです。はたして、何%の民間人校長が、学校現場で通用しましたか?

T教諭に捧ぐ⑧

 T先生より1年早く異動し、3校目の3年目から教務主任を経験することとなりました。ここでも、T先生の教えを生かすことができました。できるだけ細かく提案することで、個々の職員の役割を明確にしていきました。特に、若い職員の供給が全く止まっていた時期でしたので、分掌会議や職員会議を簡素化し、余裕の出た時間を活用して、研修の内容を深めることができました。
 やがて、3校目を離れるときがやってきました。定年まで、残すは9年。最後に勤務する学校は、その学校の創立当初からT先生がおられた学校にしようと、勝手に決めていました。普通ならば、第1希望に挙げた学校は、まず外されます。しかし、この時は、転勤希望に、迷わずその学校を第1番の希望としました。念ずれば通ずることがあるものです。希望通り、その学校に転勤することができました。
 その学校は、T先生にとっても、思い出深いものであったことは間違いありません。地域の協力を得てビオトープを作ったときも、真っ先に駆けつけてくださいました。「この窪地は、もともと池にしたかったのだ。通路脇に川を作り、蛍の飼育もしてみたかったなぁ。」などと、当時の教職員の夢を聞かせてくださいました。
 T先生の足跡がいっぱい残る小学校で勤務を終えることができたことは、とても幸せでした。若い職員も増え、T先生が私に与えてくださったことの何%かは、次世代に伝えることができたと思います。
 互いに退職者となったこのタイミングで「今時の若いやつは・・・」をあてに、ちょいと一杯といきたかったのですが、今では叶わぬ夢となってしまいました。きっと今頃は、蓮の花に囲まれ、閻魔様やお釈迦様と一緒に、杯を交わされていることでしょう。

T教諭に捧ぐ⑦

 火鉢、ちゃぶ台、茶だんすなどが集まり始めました。「先生、これは座敷がいりまっせ。すぐに材料集めますわ。」と、地域から声がかかります。すでに、夏季休業に入り、秋の記念式典に向けて、日程の余裕はあまりありません。
 そんなある日、朝7時過ぎに、T先生から電話が入ります。「朝から畳を運び込んだんじゃが、どうにもはまらんのじゃ。助けてくれんか。」朝食を摂る間もなく、学校に駆け込みました。どこから集めてきたのか、畳が数枚。そりゃ、1人で作業するのは大変です。入れ替え、取っ替え、何とかはめ込むことができました。
 羽釜が手に入ると、左官屋さんがかまどを作ってくださいます。電気屋さんは、炎の形をしたランプを仕込んでくださいます。座敷ができあがると、かやぶき屋根が欲しいということになり、2t車いっぱいのヨシが届きます。「くぐり戸もいるなぁ。」ということになり、T先生が、四国へ日帰りでもらい受けに行かれました。
 「地域の支援①」でも書きましたが、作業を手伝ってくださる方々は、本業を早めに切り上げ、「ただいま」と言って郷土資料館の作業に入ってくださいました。それぞれの奥さん方は、おにぎりを握り、簡単なおかずと飲み物を携えてやってきてくださいました。これほどまでに、地域と学校が密接な関係を保てたのはなぜでしょう。もちろん、30周年という、地域を挙げての大きな行事を控えていたということもあります。しかし、それはきっかけであり、その関係を維持するT先生の行動力がなければ、この密接な関係は維持できなかったと思います。
 この関係は、周年行事が終わってからも続き、年に1度、郷土資料館に集まって、当時を振り返る会が行われていました。 

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